私のSM歴は実はかなり長いほうになるのかもしれない。
もちろんずっとMとして過ごしてきたけれど、最近はSとしての方も求められている。
私は最初からハード系だと言われた。
周りはそういうけれど、私自身はそんな自覚はないし、ハードになりたいと思っているわけでもない。
ただ、私がしてきたことを話していると、M男性たちが「負けました」と言い出す(笑)。
SMに勝ち負けなんてない。相手とどれだけ真剣に向き合えるかが重要なのであって、どれだけ痛みに耐えられるかが重要ではないのだと思っている。
というか、相手に対してどれだけ自分を預けられるかで痛みへの耐性は変わってくると思うのだ。
私は精神的な支配をS男性に求める。
行為はそのあとについてくるものではないのだろうか?
そうなるとKに対してどうしたらいいのかわからなくなる。
Kは肉体的な苦痛を受けることで精神的な満足を求めるMだから、接触ありきなのだ。
でも、本当は精神的にももっともっと落とされたいと思っているのだという。
私はどんな状況でもどこにいても一番下の人間でありたいと思っているから、Kの気持ちがわからないでもないが、なかなかそれを与えてやるのは難しい。
Tは最初から肉体的なことよりも精神的に仕えたいという気持ちが強いから、まだ同調しやすい。
でも、行為がないSMの方が難易度は高いのだと思う。
相手をただ下に見ればいいのではなく、私自身が上に行き引っ張ってやらなければ意味がない。
奴隷になりたいという男性が現れてから、私はさらにSMに関して考えるようになった。
悪いことではないけれど、悩むし困る。相手が求めているモノを探しているのだけれど、形だけになってしまって心が入って居ないような気がしてきてしまう。
私がされて嬉しいことをすれば、相手は嬉しいのだろうか?
SとMは恋人同士より相性が合う人を見つけられる可能性が少ないだろう。
性癖の部分だから繋がりも強くなるし、相手の表面的なものではなくて、根本的なものを観ることになる。
もちろんこちら側も見られることになる。
だからこそ、主になるのならぶれない主としての気持ちが必要だ。
こんなことを考えていたら頭が痛くなってしまいそうだから、もういっそ、心のままにワガママになってみてもいいのかな? なんて思ったりもする。
それが実は相手にとっても嬉しいことなんじゃないかとか。
こんなところまできて、引き返す方がいいのかとも思うけれど、私を選んでくれた人ならばその人たちを大切にすることが私にできることな気がする。
大切にするというのは、私色に染めることでもある。
だからまずは私の色をハッキリと自分の中に見出さなければいけないんだろう。
まだまだ道のりは長そうだ……。