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【私は、メス奴隷婚活女でございます】

 

マニア女性からの手紙 第11回

〈手紙〉元岡奈央(仮名)

マニア倶楽部が隔月刊になって間もない頃『マニア女性からの手紙』と言うコーナーがありました。
写真はないのですが強いマニア性をもつ女性からのメールや手紙を紹介するコーナーです。
先日パソコンのデータ整理をしていたら、その連載データを発見したので読み返してみました。
それがとても面白い。なんだかもったいないので、ブログにアップしていきます。

私は、昭和生まれの34歳、北陸育ちの独身です。彼氏は、もうずっといません。
大学を出て、東京のそこそこの私大を出て某有名企業に入社しました。
しかし、大して仕事が出来るわけでもありません。可もなく、不可もなくという感じです。

私の性格は、周りからは明るく見られているけど、本当は自分に全然自信がなくて、マイナス思考になりがちです。
それを悟られたくなくて、わざと、違う自分を演じています。
私の母は国立女子大出身です。
父もいちばん上の大学を出て、地元のトップ企業の出世コースを順調に進んでいます。

母には、小さい頃からずっと、
「奈央さんには元岡家の名に恥じないような大学にいってもらわなくては困りますからね」
と言われ続けてきました。
でも、私にはふたつ年下の、出来のいい妹がいます。妹とは、いつも比較されてました。
「△△さんは今回の○○模試でまた総合10番以内。
それに比べてあなたは学校で10番。なんで同じ姉妹なのにこうも違うのかしら?」

私はどう頑張っても成績が親の期待に達しないので、中学のときに見切りをつけられてしまいました。
以来、両親、特に母は妹にしか期待をかけなくなりました。
私には、妹の勉強の邪魔にならないようにだけ、気をつけていてくれればそれでもういいから、と言われました。
私は、両親に褒めてもらいたかったから、精一杯努力はしました。
でも、全然認めてくれませんでした。だから、私は自分がイヤになりました。

勉強もしないで遊んでばかりいる人たちみたいになってしまいたいとも思いました。
でも、小心者の私には大胆なことはできませんでした。
髪を染めたり、お化粧をしたり、お洒落をしたり。
そのかわり私は、服の下に隠れた部分や、人からは見えない心の中に、「非行」の種を蒔いていたのです。
たとえば、どうしてそうするようになったか覚えていないのですが、
制服のスカーフをさつぐつわにしてそのまま寝ることが好きでした。
そうすると、よだれを垂らしながら眠りについているのです。
朝、起きたときには口の中はカラカラに乾いていました。
それでも、スカーフは薄くて柔らかいので、口の周りに痕ができるようなことはありませんでした。テレビで見た「SMの女王」という女性がお笑い芸人さんにロウソクを垂らすのをまねしてみました。
初めて垂らしたロウソクの蝋は熱いというより、チクチクという痛みでした。
でも、大量に垂らしていると、熱が、垂れた蝋の内側の皮膚のあたりにこもって、
すごく熱くなるということも、そのうちに分かるようになりました。
それから、ロウソク・プレイは蝋を皮膚からおとすことと後片付けが大変なので、やらなくなりました。次に始めたのが、浣腸です。薬局でイチジク浣腸を買うのも、自分の中ではプレイのひとつでした。
家の近くでは買えないので、少し離れた町までいきました。
そして、そこで薬局をみつけて買いました。
その頃、私はかなりSMを意識していましたけれど、その手の雑誌などは読んだことがありませんでした。
書店でその手の雑誌が置いてあるコーナーを通りすぎるとき、
興味津々でしたが、手に取ることさえできませんでした。
でも、おどろおどろしいSM雑誌の中で「マニア倶楽部」だけは表紙の写真はきれいな感じの女性が写っていて、
ただ、文字だけがSMな感じなので、頑張れば買えそうな気がしました。
買いやすい本屋さんを探していろいろな町を探して歩いていたら、
人のよさそうなおばあさんが、一人でレジ台にいるだけの小さな書店を見つけることができました。
何回か通ってSM誌ではないものの、
ちょっと女子校生が買いそうもないエッチな雑誌を買って試してみたのですが、
ぜんぜんとがめられませんでした。
雑誌を裏側にして出せば、そのおばあさんはそこに記されている定価を見てレジを打って、
そのまま袋に入れてくれるのです。
ある日、私は「決行」する決心をしました。
ずっと、手にしたかった本、それを手にとって他の雑誌といっしょにレジに持っていきました。
その間、私の心臓は生まれてからこれ以上ない速さで打っていました。
早くおばあさんがレジを済ませてくれることと、
私のうしろにレジで誰かが立たないことだけを祈っていました。
でも、そんなときに限って、イヤなことは起きてしまうのです。
私がカモフラージュのために買った他の雑誌が表側にしか(そのおばあさんに見える大きさの)定価表示がなかったのです。
おばあさんは「マニア倶楽部」もその赤く目立つ文字がある表にひっくりかえしてしまったのです。
でも、表には値段は書いてないので、何度も表と裏をひっくりかえしました。
しかたなく、私は裏側に記されている価格表示を指さしました。
すると、おばあさんはにこっと微笑んでレジを打ちました。
あとで思えば、そのおばあさんはすべてを承知で私に「羞恥責め」をしてくれたのだと分かりました。
何十年も本屋さんをやっている人が、お店の商品の内容を知らないはずがありません。
でも、とにかく私は「ちょっとした危機はあったものの、すべてうまくいった」と思いました。
そうして手にした「マニア倶楽部」を家に帰る前に、
近所の公園で、周りに人がいないことを確認しながら、パラパラとめくりました。
衝撃でした。
縛られたり、鞭打たれたり、浣腸されたり、ロウソクを垂らされたり、
大胆な野外露出をさせられていたり、土下座させられていたり、
そして、針で乳首を刺されていたり、大きなウンチを排泄していたり。
それ以来、その本屋さんがずっと私の「マニア倶楽部」購入書店になりました。
すると、あるとき、新刊の「マニア倶楽部」を買ってページを広げたとき、
私はそれまでの何よりもいちばん衝撃を受けた投稿を目にしたのです。
投稿名「美隷」さんという女性の写真と手記はその号がもう手元にない今でも、
はっきりと目に焼き付いています。かれこれ、もう十五年ほど昔のことですが。
それまでの投稿者の方達は、写真に目線が入っていて、誰だか特定できないような形で掲載されていました。
でも、美隷さんはご本人の意思で目線なしで掲載されていたのです。
しかも、ただ目線なしで素顔をさらしているだけではありませんでした。
美隷さんの告白手記の内容はすさまじいものでした。
墓地の墓石につながれて赤いロウソクの蝋を垂らされ浣腸され、
複数の男性のものをしゃぶり犯されていました。
そして、そんなすごいことをされている美隷さんは美人でスタイルもすばらしいのです。
女優の石田ゆり子さんを少しだけ濃くした感じの、憂いのある綺麗な女性でした。
そんな美人が顔を蝋で覆われて、口の中にまで蝋を垂らされていました。
それを見た時、私のあそこはもうどうにもならないくらいに疼きました。
中をかき回されて壊されてもいいくらい、激しくされたいという気持ちが募りました。
それまでの私は、自分を虐める事が、心が落ち着くただひとつの手段でした。
でも「マニア倶楽部」を見たらそれが、子供の遊びだったと、つくづく思い知らされました。
そして、そういうことは、ご主人様にしていただくものだ、ということがはっきり分かったのです。
でも、美隷さんほどの美人がそこまでされてしまうのを見て、
反対にSMの世界でも私は自分の至らなさを感じました。
そして、SMのことを忘れるようにして、「マニア倶楽部」を買うのもやめてしまいました。
そして、大学に受かって家を離れて東京に来てからは、
自分を変えるようにしました。お酒が好きなこともわかりました。
私は、つとめて明るく楽天的な女であるように振る舞いました。
そして、今、もう34歳になってしまいました。私はやっぱり自分の気持ちに正直に、
本能に従って生きたいと思いました。
だから、美隷さんには遠く及ばないですが、
私もメス奴隷妻として飼ってくださるかたに命を捧げるつもりです。宜しくお願い致します。
※編集部注 このお手紙は三年以上の前の手紙です。現在、伊村佳織さんへ手紙の回送をおこなっておりません。ご了承ください。