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【私は、電車女。でございます】 

マニア女性からの手紙 第05回

[手紙] 園田はるか(仮名)

マニア倶楽部が隔月刊になって間もない頃『マニア女性からの手紙』と言うコーナーがありました。
写真はないのですが強いマニア性をもつ女性からのメールや手紙を紹介するコーナーです。
先日パソコンのデータ整理をしていたら、その連載データを発見したので読み返してみました。
それがとても面白い。なんだかもったいないので、ブログにアップしていきます。

編集部の皆様、初めまして。私はマニア倶楽部をかなり前から愛読している読者です。
どのページも私には刺激が強く、それだからこそずっとひきつけられてしまうのですが、
最近「○○から送られてきた手紙」というコーナー
(?……というか、見開きで掲載されている告白文のページ)
にとくに興味があります。

読んでいると私自身のことと共感する部分が多く、とても他人事のような感じがしないのです。
そして、体の中から「私も書きたい」という衝動が起きてどうしようもなくなってしまいました。
紀貫之は「土佐日記」で自分を女性に擬して、
「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」
と仮名まじりで書き出しました。
大学で日本の古典文学を専攻していた私も、
「Mもすなる手紙といふものをH(Mというよりは超ヘンタイな私です)の私も」
と真名・仮名まじりの文で書いてみようと思います。
ただ、他のかたからのお手紙と見比べていただけるか心配です。



最初からお恥ずかしい話で申しわけありませんが、
中学で国語を教えているのに、文章を書くことがすごく苦手なのです。
きっとおかしな文章になってしまうと思いますが、
最後まで読んでいただけるように頑張って書きますのでどうぞ宜しくお願いいたします。

私は母校の中学で教師になって二年目の二十五歳になったばかりの女です。
これから告白することは学生時代に私が毎日していたことです。
私は自分がMだと思います。
でも、それをいままで口にしたことも誰かに話したこともありません。
また、そういうそぶりを異性同性を問わず示したこともありません。

現実に私の周りでも、
「私ってプチMなの」
「カレシ以外の男に行きずりで目隠しプレイされてイカされちゃった。私、ドMだから」
とかいう子が何人かいました。
知り合いではありませんが、ネットなどで、
「私は縛られるのが大好き」
「痕が残るくらいきつく縛られないとイヤ」
「手加減なしで思いっきりビンタされるとモエる」
とか見知らぬ人にではなく身近な周囲に公言している女性も少なくありません。
たしかに彼女たちがしていることを聞くとそれぞれれっきとしたSMプレイのようですし、
聞いてるだけでぬらしてしまうような反応をする私もMだと思います。
でも、彼女たちのように自分以外の人に「自分はM」と知らせてしまった時点で、
私だったらもうMでいることができなくなってしまうような気がするのです。

自分で言うのは変かもしれませんが、私は普通に友だちとも付き合い、
通常の学生生活や常識的な社会生活を送ってきました。
カラオケとか飲み会とか、映画を見に行ったりTDLなどに遊びにいったりとか、
ごくごくありきたりの毎日を過ごしてきました。
なんだか自分でも書いていることが不明瞭でいやになってしまいますが、
要するに私は学生時代も社会人になった今も、これまで一度も自分がMであることやSMに関心が深いことなどを、
誰にも言ったことがない、ということなのです。
それだけに私が学生時代にしていたことはきっとお話するとドン引きされてしまうような、
とてもマニアックな内容でした。

私は妹と弟が各一人の三人兄弟で母はナースをしています。
日勤・準夜勤・夜勤など、他の家に比べると不規則な生活でした。
ですから、子供の世話を父がすることも多く、幼いときには父にお風呂に入れてもらうこともよくありました。
でも、父はロリコンで、私の体に悪戯をするような人でした。
普段は大好きなパパなのに、アソコを触ったり舌を這わせたりされるときは、
とても恐ろしく嫌悪感でいっぱいでした。

私が少し大きくなると父の関心は妹に移りました。
後年、私は妹と打ち明けてそのことを話す機会がありましたが、
父は妹には自分のモノを舐めさせてまでいたそうなのです。
妹はそのことで深い心の傷を負い、今でも父を憎んでいます。
フェラチオまではさせられなかった私は父を憎んでまではいませんが、多少のわだかまりはあります。
でも、それ以上に私は父によって「感じる」ことを教えられてしまったのです。

父が私のアソコに触れるときは、それが指でも舌でも必ずブルブルという振動をつづけるのです。
とくに、舌のときは唇を強く私のアソコに押しつけて、
トランペットを吹くときのように上下の唇を振るわせたうえに、
舌を高速回転させて刺激を与えました。
これがトラウマにはなりましたが、
私の場合はその「うしろめたい快感」も忘れられなくなってしまったのです。

性というものがあるということを知った小学校高学年の頃には、父は妹をもてあそんでいました。
愛撫で快感が呼び起こされることを体に教え込まれてしまった私は、自分で慰めるようになりました。
初めは指を使ったり、机やベッドの角にアソコを押しつけたりして自慰をしていました。
でも、それでは父からされていた「いやらしい振動」による快感は得られませんでした。
ところが、高校生になったとき、周りのみんなと歩調を合わせるように携帯電話を持つようになりました。
ここで編集部の皆様はもうお分かりだと思いますが、
そのバイブ機能に私は他の子とは違う興味を抱いたのです。

あんのうじょう、バイブの振動を最強モードにしてアソコに押し当ててみると、
失われた快感が呼び覚まされました。
私はこれを通学のときに行ったのです。
「バスや電車の中では通話はご遠慮ください」
ということならアソコに入れて置いてもいいものね、とか身勝手な理由をつけて携帯をアソコに忍ばせで家を出ます。
生理用の下着などでしっかりと固定してずれたり落ちたりしないようにしました。
通話をかけてくる子はめったにいませんでしたが、登校中にメールを送ってくる子は何人かいました。
でも、それが何時何分かまでは決まっていませんでした。
混雑したバスや電車の中でアソコに固定してある携帯のバイブが振動すると、
私はその快感にクラクラしてしまい酔いしれました。でも、すごくうしろめたい気持ちも残ります。それに、
「はるかってすぐにレスしてくれないんだよねー」
って言われるようになってしまい、高校のときはあまりできなくなりました。
でも、一浪して予備校に通い初めてからは毎日携帯をアソコに入れて通学していました。
大学に入ってからは本当に「楽しい」Hンタイ通学生活でした。

当時はまだ湘南新宿ラインができる前でしたので、大学まで一時間半くらいかかりました。
その間、何本もメールが入るのです。車両内で鳴ってもそれはそれは緊張と快感の鞭と飴でしたが、
乗り換えの東京駅の階段(とくに中央線のホームに昇っていくとき)で、
ウー・ウーと振動したりするのもまたとても恥ずかしく、
感じてしまうのにつらい、という特殊な感覚を味わうことができたのです。

ときどき、バイブ機能だけでなく、着メロも一番小さい音量ながら鳴らすようにセットしたこともあります。
しかもその着メロは、とても恥ずかしい○○(編集部註・差しさわりがあるので伏せました)のような曲です。
あきらかに私のアソコらへんからそんな恥ずかしい音楽が鳴り、バイブがウー・ウーと唸っているなんて、
周りの冷たい視線をもろに感じたこともたくさありました。

教師となった今はそんなことをする勇気がありません。もう一年以上封印しています。
でも、アソコにバイブと恥ずかしい着メロをしかけた携帯をセットしたまま登校して、
授業しているときにそれが鳴って、あわてて教室から飛び出してトイレに走ってメールを見ると、

「あのときのマニア倶楽部の投稿、先生ですね」

というメッセージが送られてきたら……という想像などをしてアソコを慰めているのです。