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困惑日記 【第16回】 「お許しください」

KとSMのお店に遊びに行った帰り道。
車の中でKに感想を求めた。
やはりKには私が全然満足していなかったことが伝わっていたようだ。
これも同じ痛みで解放されるM同士だからわかることなのだろうか?

ただ、私は最近のよく思うことがある。
それは私はどこまで痛みを受けても
満足することはないのではないかということだ。
もしかしたら、私が満足する方法は痛みではないのかもしれないと思う。
けれど、それがなんなのかはわからない。
それを知っているのは、私自身のはずだけれど、
誰かに見つけてほしいとも思う。
痛みは結局のところ究極的には死につながる。
でも死はすべての終わりを意味する。
そういう意味では私の考える主従は生死をかけたものっだから、
間違いではないのかもしれない。
だが、死んでしまったら終わりとも言える。
主従の終わりとして最も幸せなのはどんな最期なのだろう。
私は主に「死ね」と言われて死ぬことを望んでいるけれど、
私が主だとしたら、
絶対に奴隷に自分から死を選ばせるようなことはしないだろうともわかっている。
私がもし主になったなら、
奴隷にはどんなに苦しくても必ず生きてもらう。
私のためにだ。
こんな風に思えるようになったのも
KやTが私の奴隷になりたいと言ってくれたからなのだろうと思う。
主従観は人それぞれ違うだろう。
ただ、今まで色々な人のSM観を聞いてきて不思議に思っていたことがある。
女王様とM男性の関係の場合、プレイの最中に
「お許しください」
という言葉が出たら、
本当にギブアップという暗黙の了解がある人が多いようなのだ。
私の考えではそんなものは存在しない。
最終的なNGワードなど存在しないのだ。
なぜなら、それでは命を預けているということにならないと思うからだ。
もちろんプレイとしての関係性ならそれもアリだろう。
そういう意味では女王様とM男性の関係の場合は
プレイがメインになることが多いのかもしれない。
もちろんそこに心のつながりがあることは重々承知だが、
相手に何をするのかどこまでするのかは、
絶対的に主導権を握っている方が考えることだと思う。
でなければ、M側は自分の限界を超えることは絶対にできない。
「もうこれ以上は無理です」
と泣き叫ぼうが暴れようが、
相手が受け入れろと言ったら受け入れるしかないのだ。
もし私がこれから誰かを奴隷にすることがあったなら、
この考えは絶対に受け入れさせるだろう。
でなければ、私は
ただプレイをしてくれる相手としてしか見られていないように感じるだろう。
もちろん
「お許しください」
がある関係を否定するものではない。
そういうワードがなければ怖くてプレイできないというのもわかる。
ただ私の考えにはなじまないというだけだ。
これについてはKとTに確認をしてみた。
2人とも今まではやはり
「お許しください」
があったようだ。
けれど私とならなしでもいいと言ってくれた。
これはすごく喜ぶべきことだろう。
相手がそこまで自分を受け入れる
覚悟や自分への信頼を示してくれているということなのだから。
TやKは職業的な女王様とのプレイを経験したことがあるそうだ。
そういう関係の場合は、
やはり自分がお金を払っているという部分もあって、
自分のしたいようにプレイを進めていくのだろう。
それは楽しいことなのだろうか?
もちろんプロの女王様なら技術も
もっているだろうから楽しい部分もあるけれど、
そこには最後は寂しさしか残らない気がする。
実際にKもTもお金を払ってプレイをすることに魅力を感じないそうだ。
本当のつながりを考えるとき、
技術よりも先に来るのはやはり精神的なものなのだろう。
そこがなければ始まらない。
逆に言えば、
そこさえあればある意味始めてしまってもいいのかもしれないと、
私の心は揺れ始めていた。

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弥生・・・小さい頃からMの自覚を持って育つ。大学生の頃からハプニングバーで働き始め、今も仕事をしながらバイトをしている。プライベートも含め根っからのMだが、最近M男性からSっぽい面を求められ、方向性が揺らぎ始めている。S転して、女王様になる日も近い!?。