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たまえ講座③【荒川也寸志】

「プレイ」と「ゲーム」の差、あるいは違いを考えた事ありますか。
「SMプレイ」と対外的に表現したり、恋人、愛人関係、時として夫婦間にも用いる割りと無難なコトバですが、「SMゲーム」をしていると言える好事家は居ません。
「プレイ」は馴れ合いの痴戯。「ゲーム」は生命・人格尊重など思わない、性倒錯者の僭越行為です。

私は、人生賛歌を口したがる老人です。
スポーツ人士は毛嫌いし、どの競技場に対しても「野次馬養成所」としか見ていません。
勝った負けたで騒ぎ、その結果を翌日までも引き摺る低脳さは、ニュースとして扱うマスコミすら低劣と見下げて思っています。
そうしたスポーツ界には「ゲーム」が当てはまるのです。
相手をやり込め溜飲を下げるのは、選手といわれる動物や馬鹿っ騒ぎする方の動物も、人間社会への貢献はありません。
その世界でのルールはあっても、人間社会での秩序には欠陥露呈する集団となり果てるのです。
「ゲーム」を好む、また「ゲーム」をする生き物らに、プライバシーは必要なく、文化的知的生活を送ろうと心掛ける人々は、無視こそ最善の暮しとなるでしょう。
要は、嗜好は個々に求め合っても、乱痴気騒ぎする雑地域に吸い込まれずに居たまえ、と語る事柄なのです。
「SMゲーム」の内容とは、たとえて言えば“地獄の火の宴(ヘル・ファイアー)”です。
「魔女裁判」なるものが人類歴史の中にあって、その裁判には拷問が存在したのです。
それを再現する快楽行為言動だと想ってみれば、「SMプレイ」との違いは判断できると思います。
“ヘル・ファイアー”の行事は、二十世紀人間でいる私が見聞した事など有りませんが、それを真似た快楽追いグループに、誘われてその場に臨んだ事があります。
「SM」というコトバはない時代のことで、加虐者を「M(マスター)」被虐者は「S(スレーブ)」と区分した頃です。
物作りに、器用だと言われた私が、内職でへんちくりんな物置台を作らせて貰った事がありました。
それが後々に知る「拷問台」であり、成金どもの「ミサ」に使われたのでした。
1960年代の事で、拉致されて来ていた女性は、私にとっては正体不明、瘦身で青年の目には魅力を感じない中年増。
(ハハン、晴雨絵の責められる女が好みじゃない連中っているんだ)の印象をもち、受身の刺戟からは夢精現象を起こして、羞恥したものです。
『奇譚クラブ』臨時増刊で見る「四馬孝」画の地獄もの如き、生々しい光景は、面白がって眺めるものではない、との感想を抱く結果に通じたのだ……と私は回想します。
也寸志エロストは、ゴチャゴチャと物を描き込み過ぎて大仰な場面を見せる……と、そっぽを向く「責め絵マニア」が存在しました。
描く側は、「こんなプレイがやれる環境」があれば楽しいだろうな、とか、「享楽追求者の喜びそうな道具立て」の見本展示のような気分でいるのです。
1970年に入ると、トーチャーやリンチ好奇心でイメージ・エクスタシーを知ろうとする者は居なくなり、エロス満喫欲からの「SMプレイヤー」が出現したせいで、「SMは縄で始まり縄で終わる」論者や、「SMは浣腸が一番愉快」と叫ぶ愛好者が輩出して来ました。
関西好色人たちの上京で始まった煽情誌の乱立現象もおこりました。
「SMプレイ」の背景には、「法治徹底地域の東京」と異なり、「規律杜撰地区の大阪」方人心に強く残存する「一盗二婢三妾四妻」の憧れがあると言えます。
老人は漢字ばかり並べて「分らん」と思うようであれば、辞書・字引きを使い給え、となります。
つまるところ、日本人としての老人は、プレイもゲームも口にせず、サディスト・マゾヒストも言わず、他人にない感喜言動を表わすのに「異喜」を用いたまえ、と薦めるのです。「異喜」には、男が“S”女は“M”などの規定はなく、否定するのはスワッピングという不潔行為です。
普遍の性欲は、前説「3D」「3L」で向い合える男女間で、欲張り、発散、充足したまえ、の提唱に従って生活されるのであればプライバシー主張も叶い、生きる喜びになる筈です。
異性間の相思相愛の仲を大切にしたまえの話でした。
■荒川也寸志
編集者、エロストレーター、文筆家。中宮栄の名で奇譚クラブに投稿。その後はSUN&MOON(サン&ムーン)、スペシャリーSM、異喜域、にちげつクラブ、SPROUT(スプロウト)、SMミラージュなどを創刊。
■氏に連絡を取りたい方は下記までご連絡ください。
三和出版秘性編集部
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