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【私は、フンドシ女でございます】

マニア女性からの手紙 第01回

[手紙] 青木佐織(仮名)

マニア倶楽部が隔月刊になって間もない頃『マニア女性からの手紙』と言うコーナーがありました。
写真はないのですが強いマニア性をもつ女性からのメールや手紙を紹介するコーナーです。
先日パソコンのデータ整理をしていたら、その連載データを発見したので読み返してみました。
それがとても面白い。なんだかもったいないので、ブログにアップしていきます。

 



「フンドシ」
という言葉を目にしただけで、私は平静でいられなくなってしまいます。そんな、とても恥ずかしい女です。
フンドシのことを思うと、それだけで心臓の鼓動が速まり、
体の奥から私の中に隠れていたふしだらな部分がいっせいに目を覚ましたような気持ちになります。
そしてまた、いっぽうでは、そんなふうにみだらな気持ちになってしまう自分がすごくいやになります。
でも、どうしてもそういう衝動をおさえきれません。

はじめまして。私は私立の女子高に数学の教師として勤務しています。
今年で二年目になりますが、学生時代もずっと女子中高、女子大で、
周りには男性がほとんどいない世界で過ごしてきました。

いままで男性とお付き合いをしたはもちろん、一度もデートしたことがありません。
もともと人とうちとけるのが得意ではなく、自習勉強しているときがもっとも充実感を覚えるような子でした。
そして、ゲームや漫画よりも、本を読むのが好きでした。

はじめは(小学校高学年のころ)絵本や童話などがおもな愛読書でしたが、
しだいに数学者や科学者の伝記に興味の対象が移りました。

数学の世界で大きな足跡を残した天才にガロワという人がいます。
女性をめぐるいさかいが原因の決闘で若くして亡くなったのですが……。(編集部註●以下、専門的すぎて難解な部分を削除させていただきました。
「死を覚悟した少ない時間に残した論文がじつは数学上の大発見だった。
そして、そこに青木さんは感動し、数学の道に進みたいと思うようになった」
というような内容でした)
伝記から次第に小説にも関心が向くようになりました。
海外のものならドストエフスキーやカフカ、
国内のものなら太宰治や谷崎潤一郎や三島由紀夫などに没頭していきました。
そういうものを読みすすんでいくうちに、人間の「生」や「死」についていろいろと考えるようになりました。
それと同時に「性」のことを知り、さらに深く知識を得たいという欲求が芽生えていきました。
そして、人間の精神世界に潜むSM的な要素にも強く惹きつけられてしまうようになりました。
専門的なことはわかりませんが、私が谷崎潤一郎や三島由紀夫の世界に魅せられたのは、
そういうことがあったのだと思います。
私の父は商社勤めです。海外赴任も三度ありました。
でも、そのときは母はいっしょに渡欧し、一人っ子の私だけが残され、伯母夫婦が家に住んでくれました。
伯母夫婦には子どもがなく、私を実の子のようにかわいがってくれましたが、ひとつだけ重荷なことがありました。それは下着のことでした。叔母は私の下着がよごれていないかということをとても気にかけたのです。
じつは、父の二度目の海外赴任のとき、中学生二年生だった私はあるものを読んでいて、
恥ずべきことですが性的な興奮から下着をよごしてしまっていたことがありました。
いつも伯母が私の洗濯物も洗濯してくれていたのですが、
よごしていることを自覚していないで、脱衣所にいっしょに置いてしまったのです。
翌朝の日曜日、伯母が私の部屋にあがってきました。
「これはどうしたの、さっちゃん?」
あそこにあたる部分がいやらしくなっていたのです。
こういうたとえはデリカシーがない、はしたないものかもしれませんが、あえて恥をしのんで描写すれば、
「かたつむりが通った跡」
のようになっていたのです。
ものすごく重い罪を犯してしまったような気持ちにおちいりました。
伯母にそんな自分のいやらしいところを知られてしまったということに、気を失うほどの恥ずかしさを覚えました。
「青木家の女性は貞淑であることが大事ですよ。
よけいなことを考えないでお勉強しないといけないわね。
成績が下がってお父さんに恥をかかせることになったら、さっちゃんもつらいでしょう?
いいわね。伯母さん、黙っててあげるから……」
私は何も言えませんでした。父や母に下着をよごしていたことを知られるのだけは避けたかったのです。
このことと、三島文学に惹かれていたことが私の「フンドシ願望」が芽生えるきっかけでした。
三島由紀夫が褌を締めて切腹死したという事実を知ったことは、私にとって大きな衝撃でした。
そして、褌というものへの興味の始まりでした。
最初は男性の褌姿に性的な興奮を覚える程度でした。
「あるものを読んでいて」というのは、百科事典の「ふんどし」の項目でした。
でも、次第にお祭りの締め込みや、お相撲さんのまわし姿に惹かれるようになりました。
でも、それだけでは欲求が満たされなくなり、自分でも褌を締めてみたい……いえ、締められたい……。
という願望が強くなっていきました。
ですから、私のフンドシへの執着心は三島由紀夫やお祭りの締め込みをなさってるかたや、
お相撲さんのまわしなどのような神聖なものとはまったく違う、とてもいやしいものなのです。
それで、私はあえてカタカナで「フンドシ」と書くようにしているのですが、
かえってそれがもっともヒワイに感じてしまっています。
男性の褌姿の写真からみようみまねでフンドシを締めてみました。
といっても、実際にはどこで「(六尺の)フンドシ」を手に入れることができるのか、
当時の私にはわかりませんでしたし、わかったとしても手に入れる勇気はなかったと思います。
とりあえず、薬店で売っているガーゼの長いものを買って、それを股間に締めていきました。
いま思えばとてもつたない締めかたでしたが、そのときはものすごく気持ちが高まりました。
そして、その日からフンドシが私の下着になったのです。
伯母には申し訳ないと思いながら、まったくはいていない普通の下着を洗濯物に出して、
お風呂のときに自分でフンドシを洗っていました。
現在、学校でもフンドシを締めていますが、私のフンドシはとても細いものなので、
あまり体の線が出ない地味な服装の私ですので、
外からは私がフンドシを締めていることは気づかれないと思います。
でも、こんな私でも通勤時に痴漢に遭ったことがありました。お尻をなでられたのです。
そのとき、私は痴漢されたということよりも、
私が服の下にフンドシを締めている変態女だということを、
その痴漢に車内じゅうに響くようにアピールされはしないか、
という不安(と期待)で気を失いそうになってしまいました。
本当の痴漢はいやですが、耳元で、
「こんないやらしいフンドシ女はお仕置きが必要ですね。
いまから、公衆の面前で服を全部脱ぎなさい。
そして、車内じゅうの人にあなたの滑稽なフンドシ女ぶりを見てもらいましょう。
みなさん、いったいどんな顔をするでしょうね。どんなあざけりの言葉を投げかけるでしょうね。
いったいどれだけの携帯写メを撮られてしまうでしょうね。
それでもあなたはフンドシの股間部分を濡らせてしまうんでしょうね」
というふうに弄ばれることを毎日想像して通勤しているのです。