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【私は、ビンタ女でございます】 

マニア女性からの手紙 第07回

〈手紙〉 藤井仁美(仮名)

マニア倶楽部が隔月刊になって間もない頃『マニア女性からの手紙』と言うコーナーがありました。
写真はないのですが強いマニア性をもつ女性からのメールや手紙を紹介するコーナーです。
先日パソコンのデータ整理をしていたら、その連載データを発見したので読み返してみました。
それがとても面白い。なんだかもったいないので、ブログにアップしていきます。

私は「ビンタ」という言葉を聞いたり見たりするだけで、どうしようもなく抑えきれない感情がこみあげてしまう女です。
大学生のときに付き合っていた年上の男性に、
目隠しや手の拘束など、軽いSMプレイを教えられて、貴誌を知るようになりました。
その男性と別れてからも、SMの世界に惹かれていろいろと知識を得るようになりました。
でも、親からもビンタをされた経験はありません。
ただ「ビンタ」という行為にある種の憧れと恐れを強く感じてしまう自分を発見して、
どうしていいかわからなくなってしまっている状態なのです。

私は航空会社の教室乗務員を経て現在法科大学院で法律を勉強しているニ十七歳の学生です。
当面の目標は司法試験合格ですが、私の心の中ではもうひとつ、
この「ビンタ」のほうがその大きな位置を占有してしまっています。
このまま放置しておくのもひとつの対処法かと思います。
でも、理性では抑えることができない、説明できないことが人間の感情・欲望にはあるということも、
SMの世界を知ってはじめて理解することができました。
そういう意味で、私は「ビンタ」について何か行動を起こさないではいられない、
そうしなければ後悔することになる、という結論に達したのです。
専門外の私が言うのは僭越かもしれませんが、
「愛に基づいたSM」とか「本当に信頼できる相手だからすべてを委ねることができるSM」というものは、
精神的に不安定で、拠り所を切望しているM女性を操りやすくするための男性の詭弁ではないでしょうか?
実際の「SM」というものは基本的に「愛情に裏打ちされないもの」ではないかと思います。
なぜなら、真の愛情に裏打ちされた感情を抱く相手には、少なくとも私にとってSMはなじまず、
そのような行為をする気にはないからです。
そうではなく、本能に根ざした、純生物的な衝動が「SM」の本質なのではないかと感じます。
私がもし心の底から愛する男性を得ることができるとしたら、
その男性との間にはノーマルなセックスしか介在する余地はないでしょう。
反対に、私がもしいわゆるストライクゾーンのド真ん中な容姿の男性、
もしくは逆にまったくタイプではない男性と性的関係になるような状況になったとしたら、
私には「SM」しか受け入れることはできないと思います。
それで、このどちらが私にとってあらゆる意味で至上の快感を得ることができるのだろうか、
と考えたとき、答えは簡単に導かれます。
それは、後者です。そして、私は間違いなくMであると確信しています。
ただし、自分に対してMでもあればSでもあり、また傍聴者でもあるのです。
マゾキストとサディストとバイスタンダーという三位一体こそが私のSMなのです。
とはいうものの、私はやはり偽善者の一人でもあります。私は本能ではAV女優になりたいのです。
裸体になるだけでなく、乳房・尻をあらわにし、人前で股間を開き女性器を晒し、
共演する男性や女性に指や器具や性器を挿入され、キスやフェラチオや性行為に興じ、
精液を顔に浴び、口中・性器に注がれ、それを映像として記録され、不特定多数の人に視聴される。
ということに、憧憬を覚えるのです。
AVは女性が「凌辱される」ことが根底に流れている川のようなものだと感じます。
フェラチオ・イラマチオ、顔射、中出し、精液ごっくん、肛門舐め、ソフトSM、玩具による失禁などは、
いわゆるSMものでなくてもごく通常にAVで扱われています。
それが悪いと言っているわけではありません。
むしろ、私はそのような世界に自身を置きたいという願望でいっぱいなのです。
そして、私はそこで、愛情に制御されることなく、性行為を享受したくてしかたがないのです。
でも、実際には家族・親戚、同級生・先輩後輩、社会的地位などを気にして踏み込むことはできません。
おそらくはこのまま法曹界に進んでそこにずっと身を置くことになることでしょう。
そういう意味で私は自分を偽ってしか生きていけない女なのです。
それでも、今の私には「ビンタ」されたいという強い欲望がそれに勝ってしまっています。
どのような形にせよ、私はその貪欲なマグマを噴出させなければ、
通常の生活を送ることができないほどになってしまいました。
こうして、思い切って貴誌に投稿文を書いているのも、その一つの現れです。
書いてどうするのか、と言われると、はっきりとした答弁をすることができません。
ただ、書くだけで多少とも欲求が満たされるだけで満たされるのか、
それとも少なくとも編集部の方には目にしていただけるでしょうから、そうしたことで自分以外の誰かに懺悔をした、
という既成事実を作ったことでこの魂を救おうとしているだけなのかもしれません。
いえ、それだけで満たされるならはじめから書いたりはしないでしょう。
この文章が編集部の方の目にとまって掲載され、それを読んだ読者の男性から何らかの形でレスポンスが返ってくる、
などという想像を描いている、というのが本音です。
いえ、それも偽りです。本当は衆人環視の中で容赦のないビンタをされることを望んでいるのです。
だから元プロレスラーの方に進んで平手打ちされるようなものではだめなのです。
ビンタされたい、というのに矛盾しているかもしれないのですが、
望まないのに、理不尽にも、哀れで、屈辱的なビンタを……。
中学のとき、私は××線を使って通学していました。学校からの帰りに、
私がいつも降りる駅でどこかの学校の女の子たちが一人の女の子を囲んでいるところに遭遇しました。
そして、私や他の乗客の人たちの目の前で、その子が他の子たちにかわるがわる思い切りビンタされたのです。
それはとても異様な光景でした。その子たちはけっして不良というような感じの子ではなく、
ごく普通の私立女子中の子たちでした。
叩かれた女の子はそのこと自体よりも、
それを第三者である私たち通行人に見られたことが屈辱的というふうに思えました。
あとで、ビンタされることにとりつかれることになった私にはそれがよくわかります。
CA時代に、私はビンタされたいと感じた瞬間が何度あったかわかりません。
一人のお客様に理不尽なことを言われ、他のお客様の前で突然頬をはたかれ、
罵られる自分の姿を想像しました。
辞めてからも、もし、自分がテレビ局のアナウンサーで、たとえば街頭インタビューの生放送中に、
「生意気な女め。偉そうにしゃべりやがって!」
などと罵倒する人に力いっぱいに平手打ちされて、何があったかわからないほどうろたえて、
自分を失って呆然としている姿を夢想していました。
ビンタされる瞬間の顔は、それはそれは醜くゆがむそうです。
それをスローモーションでYOUーTUBEのようなところにアップされて、
一生恥を晒されてしまいたい、と夢見ました。
鼓膜が破れてしまう、という危険はありますが、
それでも、私は本当の本気の、手加減などしない、体ごとふっとんでしまう、
文字通り「張り倒される」ようなビンタをされたい、という願望で頭の中がいっぱいな変態女です。
私のような女を心の底から気に食わないと思って本気のビンタをしてくれて、
かつ、絶対に秘密厳守してくださる方がいたら、と思うのですが、無理なのでしょうね。
とりあえず、自分の願望を赤裸々に綴ってみました。ありがとうございました。
※編集部注 このお手紙は三年以上の前の手紙です。現在、藤井さんへの回送は受け付けておりません。