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【私は、ケツ舐め願望女でございます】 

マニア女性からの手紙 第08回

〈手紙〉 伊村佳織(仮名)

マニア倶楽部が隔月刊になって間もない頃『マニア女性からの手紙』と言うコーナーがありました。
写真はないのですが強いマニア性をもつ女性からのメールや手紙を紹介するコーナーです。
先日パソコンのデータ整理をしていたら、その連載データを発見したので読み返してみました。
それがとても面白い。なんだかもったいないので、ブログにアップしていきます。

 


初めまして。私は二十四歳の医学生です。
「マニア倶楽部」を知ったのは六年前、都内の私立高校に通っているときでした。
その頃の私は受験の他に誰にも言えない悩みを抱えていました。子供のときの体験です。

母は私を妊娠したことが判ってすぐに、裕福な医師の男性と結婚しました。
その戸籍上の父親はすべて承知の上で母と結婚したのです。
母は美人で、男性との交友が多い人でした。
私のことを気遣ってくれたこともあまりなく、今でもよそに若い恋人がいるようです。
それはともかく、私がその父親が実際の父でないことと、
もう一つ別の事実を知ったのは、十歳になる誕生日の夜でした。
それまで、私は父親といっしょにお風呂に入っていました。
帰宅していつも私といっしょにお風呂に入ってくれる父親のことがすごく好きでした。
でも……父親は変態だったのです。

私の記憶がまだない頃から、私は父親にキスされていました。
それも、親子の挨拶のキス、というものではありません。
口と口とを強く吸い、唾液を交換し合い、舌と舌を絡ませながら、淫らな音をたて合う、
理性のない快楽に耽るような、濃厚でふしだらなキスでした。幼いときにもう私はキス上手な女にされてしまったのです。
でも、それだけではありませんでした。口を吸い合ったあと、
私はその父親の肛門を舐めさせられていたのです。
「今日は患者さんがたくさん来てとても忙しかったから、ここもいっぱい汗かいちゃったよ。
かおり、さあ、いつもみたいにパパのここをきれいにして」
それが嬉しかったのです。
何も知らなかった私は父親に舐め回された唾液だらけの口を拭う間もなく、
「うん!」
と元気よくお返事をして洗い場にしゃがみました。
まず、こちらにお尻を向けた父親の臀部の中に顔を埋めさせられました。
そして「かおり、キスして」というのを合図に、
まず唇で、そして舌で父親の洗っていないアヌスをきれいにさせられたのです。
「かおりがきれいにしてくれたから、パパ、ほうら、今日もこんなに元気が出ちゃったよ」
そう言って振り返ると、いきり立ったものを私の顔に強く押しつけるのです。そのとき私は、
「わぁ、ほんとだ。嬉しいっ!」
と無邪気に喜んでいました。
「今度はこっちをいつものようにいっぱい舐めておくれ」
幼い口には大きくて口に入らないので、舌先で陰茎から陰嚢まで、
丹念に舐めていきました。それがひととおり終わると、
「お口をあーんして……いつもみたいにベロを出したままにしててね」
と言って、亀頭を私の舌の上に置き、前後に動かしました。
動きが激しくなると、今度は私の頭を鷲掴みにして前後に揺すり出しました。
亀頭の先からヨーグルトのようなものが私の口の中に放たれるのです。
「いい子だから今日も飲んじゃおうね。美人になるお薬が入ってるから、
かおりはますます綺麗になっていくね。パパ、とっても嬉しいよ」
その言葉を信じて私は、ずっと父親の精液を飲まされつづけていたのです。
母は父親のそんな行為をずっと知っていたのかもしれません。
あとになって思えば、
「じゃあ、ママも飲んでるの?」
と尋ねたことがありました。
「ママは好きじゃないんだって。だから、いつもあんなにしかめっ面ばっかりしてるんだね」
と笑っていました。そして、両親のこんな会話を聞いて真実を知ってしまったのが、
十歳の誕生日の夜だったのです。
「またやってるの? ほんとにもう、困った人ね。
私はどうでもいいけど、外には絶対に知られないようにしなさいよ!
かおりにもきちんと口止めするか、もう止めるか、どっちかにしてちょうだい!
今日だってかおりのお誕生会にお友だちが何人も来てたんですからね!
子供にあんなことをさせてるのがわかったら、
どうなるか判ってるでしょ! 破滅よ、破滅!」
でも、私は「いいこと」だと思っていたその行為を、自慢のつもりで、
その日のお誕生会に来てくれた仲のいい子たちに話してしまっていたのです。
小学校は公立の男女共学でした。
翌日、私に話しかけてくれる子は一人もいませんでした。
その代わり「不ケツ女」「校門に立ってろ」という落書きが、
下駄箱と机に書かれていました。父兄の間で噂が広がってしまいました。
でも、校長先生たちにとってもそんなことが公になっては困ることでした。
私たち一家が転居することで表沙汰にはしないと穏便に収めたらしく、
そこで私の生活環境もすっかり変わることになってしまいました。
父親は私に謝りました。でも、お友だちにも裏切られ……というより、
その子たちも無邪気に親にものめずらしいことを話しただけかもしれませんが、
一家で東京に移り住むことになったのです。
それから、八年、私はそれまでのことを忘れようとしました。
でも、だめでした。なぜか父親のことをこころの底から憎むことができなかったのです。
本心に素直に従うと、あの行為が嫌いではなかったということに気づいてしまったのです。
それでも、自分がイヤでイヤでしかたありませんでした。
私の目の前は暗く、空から来る重い物に押しつぶされて、
どこかへ突き落とされそうな感じがしていました。
実際にビルや橋の上から飛び降りてしまおうとしたことも何度もありました。
でも、ふと、父親みたいにアヌスを舐められることが大好きな男性が、
他にもいるのではないかと思ったのです。
そんなとき、インターネットで検索して、
世の中にはそういうことをしている人たちがいることを知りました。
でも、そこで見たものは、私には違う感じがしました。
そんなこととは別に、学業の現実問題として、私は父親と同じ進路、
医師をめざすことにしたのです。
高三のとき、予備校の帰りに寄り道をして入った古風な書店で出会ったのが、
「SMスナイパー」と「マニア倶楽部」でした。
とくにマニア倶楽部には救われたと思います。
普通の人とは違った性癖を持って生まれてしまっても、
生きていく道もあることを知りました。
さまざまな性癖を持ったいろいろな人が誌上で知り合っている、
ということもこころの大きな支えになりました。私も、もしかしたら……などと。
今、やっと決意することができました。思いを表してみようと。
でも、いまだに男性とお付き合いしたことがありません。
それなのに、男性の臀部の中に顔をうずめさせられて、
アヌスを唇でチューッとして舌でペロペロと舐めまわすように強いられたいのです。
衛生上よくない行為であることも、もちろん解っています。
でも、この気持ちはどうしても抑えることができません。
男性と一度もおつき合いしたことがないのに、キスが、それも濃厚なキスが大好きで、
そのうえ、精液を飲まされることが好きで、
でも、いちばん好きなのは男の人のアヌスを舐めること、という最低の穢れた女です。
それでももし、性欲処理に利用して下さるという男性がいらっしゃったら、
私がこの世に生まれてきた意味もあるのかと思います。
私の記憶がまだない頃から、私は父親にキスされていました。
それも、親子の挨拶のキス、というものではありません。
口と口とを強く吸い、唾液を交換し合い、舌と舌を絡ませながら、淫らな音をたて合う、
理性のない快楽に耽るような、濃厚でふしだらなキスでした。
幼いときにもう私はキス上手な女にされてしまったのです。
でも、それだけではありませんでした。口を吸い合ったあと、
私はその父親の肛門を舐めさせられていたのです。
「今日は患者さんがたくさん来てとても忙しかったから、ここもいっぱい汗かいちゃったよ。
かおり、さあ、いつもみたいにパパのここをきれいにして」
それが嬉しかったのです。
何も知らなかった私は父親に舐め回された唾液だらけの口を拭う間もなく、
「うん!」
と元気よくお返事をして洗い場にしゃがみました。
まず、こちらにお尻を向けた父親の臀部の中に顔を埋めさせられました。
そして「かおり、キスして」というのを合図に、
まず唇で、そして舌で父親の洗っていないアヌスをきれいにさせられたのです。
「かおりがきれいにしてくれたから、パパ、ほうら、今日もこんなに元気が出ちゃったよ」
そう言って振り返ると、いきり立ったものを私の顔に強く押しつけるのです。そのとき私は、
「わぁ、ほんとだ。嬉しいっ!」
と無邪気に喜んでいました。
「今度はこっちをいつものようにいっぱい舐めておくれ」
幼い口には大きくて口に入らないので、舌先で陰茎から陰嚢まで、
丹念に舐めていきました。それがひととおり終わると、
「お口をあーんして……いつもみたいにベロを出したままにしててね」
と言って、亀頭を私の舌の上に置き、前後に動かしました。
動きが激しくなると、今度は私の頭を鷲掴みにして前後に揺すり出しました。
亀頭の先からヨーグルトのようなものが私の口の中に放たれるのです。
「いい子だから今日も飲んじゃおうね。美人になるお薬が入ってるから、
かおりはますます綺麗になっていくね。パパ、とっても嬉しいよ」
その言葉を信じて私は、ずっと父親の精液を飲まされつづけていたのです。
母は父親のそんな行為をずっと知っていたのかもしれません。
あとになって思えば、
「じゃあ、ママも飲んでるの?」
と尋ねたことがありました。
「ママは好きじゃないんだって。だから、いつもあんなにしかめっ面ばっかりしてるんだね」
と笑っていました。そして、両親のこんな会話を聞いて真実を知ってしまったのが、
十歳の誕生日の夜だったのです。
「またやってるの? ほんとにもう、困った人ね。
私はどうでもいいけど、外には絶対に知られないようにしなさいよ!
かおりにもきちんと口止めするか、もう止めるか、どっちかにしてちょうだい!
今日だってかおりのお誕生会にお友だちが何人も来てたんですからね!
子供にあんなことをさせてるのがわかったら、
どうなるか判ってるでしょ! 破滅よ、破滅!」
でも、私は「いいこと」だと思っていたその行為を、自慢のつもりで、
その日のお誕生会に来てくれた仲のいい子たちに話してしまっていたのです。
小学校は公立の男女共学でした。
翌日、私に話しかけてくれる子は一人もいませんでした。
その代わり「不ケツ女」「校門に立ってろ」という落書きが、
下駄箱と机に書かれていました。父兄の間で噂が広がってしまいました。
でも、校長先生たちにとってもそんなことが公になっては困ることでした。
私たち一家が転居することで表沙汰にはしないと穏便に収めたらしく、
そこで私の生活環境もすっかり変わることになってしまいました。
父親は私に謝りました。でも、お友だちにも裏切られ……というより、
その子たちも無邪気に親にものめずらしいことを話しただけかもしれませんが、
一家で東京に移り住むことになったのです。
それから、八年、私はそれまでのことを忘れようとしました。
でも、だめでした。なぜか父親のことをこころの底から憎むことができなかったのです。
本心に素直に従うと、あの行為が嫌いではなかったということに気づいてしまったのです。
それでも、自分がイヤでイヤでしかたありませんでした。
私の目の前は暗く、空から来る重い物に押しつぶされて、
どこかへ突き落とされそうな感じがしていました。
実際にビルや橋の上から飛び降りてしまおうとしたことも何度もありました。
でも、ふと、父親みたいにアヌスを舐められることが大好きな男性が、
他にもいるのではないかと思ったのです。
そんなとき、インターネットで検索して、
世の中にはそういうことをしている人たちがいることを知りました。
でも、そこで見たものは、私には違う感じがしました。
そんなこととは別に、学業の現実問題として、私は父親と同じ進路、
医師をめざすことにしたのです。
高三のとき、予備校の帰りに寄り道をして入った古風な書店で出会ったのが、
「SMスナイパー」と「マニア倶楽部」でした。
とくにマニア倶楽部には救われたと思います。
普通の人とは違った性癖を持って生まれてしまっても、
生きていく道もあることを知りました。
さまざまな性癖を持ったいろいろな人が誌上で知り合っている、
ということもこころの大きな支えになりました。私も、もしかしたら……などと。
今、やっと決意することができました。思いを表してみようと。
でも、いまだに男性とお付き合いしたことがありません。
それなのに、男性の臀部の中に顔をうずめさせられて、
アヌスを唇でチューッとして舌でペロペロと舐めまわすように強いられたいのです。
衛生上よくない行為であることも、もちろん解っています。
でも、この気持ちはどうしても抑えることができません。
男性と一度もおつき合いしたことがないのに、キスが、それも濃厚なキスが大好きで、
そのうえ、精液を飲まされることが好きで、
でも、いちばん好きなのは男の人のアヌスを舐めること、という最低の穢れた女です。
それでももし、性欲処理に利用して下さるという男性がいらっしゃったら、
私がこの世に生まれてきた意味もあるのかと思います。
※編集部注 このお手紙は三年以上の前の手紙です。現在、伊村佳織さんへ手紙の回送をおこなっておりません。ご了承ください。