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首輪の奴隷に憧れ続けた女子大生の告白 ※5月号付録DVD収録 告白/文乃(PN)
●性に貪欲な奥手女子
私がこんな変態女になったのは、私の内側にある、相反するふたつの要素のせいだと思います。生まれつき性欲が強いという私自身の心身的な特質と、厳しい両親に育てられたという家庭的な環境の事情です。
私の両親は教師です。ミッション系の学校で教鞭をとり、本人たちも熱心なクリスチャンで私も幼い頃から教会に通っていました。性的なことについても、母が真面目な「教育」という感じで私に教えてくれました。私が小学校四年生になる頃です。
生理の仕組み、結婚は愛する者同士が赤ちゃんを産むための神聖な儀式だということ。だから結婚前にみだりに男女の交際をするようなことは、間違っているということ。そのように母から教えられたのです。
その頃はまだ生理が来ておらず、私の身体は同級生よりも小さく、貧弱なものでした。だからこれから肉体が大人の女性になる準備をし始めると言われても実感がありませんでした。
小学校5年生になると、母から『男の子のからだ』『女の子のからだ』といった題名の絵本を与えられ、母と一緒にそれを読みました。そこで初めて赤ちゃんの作り方を知ったのです。でも母はこのときも、私にこう釘を刺しました。
「こんなことをしていいのは本当に愛した人とだけなの。ちゃんと憶えておきなさいね」
その頃には私の身体にも第二次性徴が訪れ、それまでの発育の悪さが嘘のように身体が発達してきました。とりわけ嫌だったのは、胸が周りの子よりも大きくなったことです。体育の時間などは男子からの視線を感じて、とても嫌な思いをしました。
(あんなふうに愛してもいない相手をいやらしい目で見るような男子はみんな悪魔だ。いつか地獄に堕ちるんだ)
厳格な母の影響を受けていた私は、本気でそう考えていたのです。その一方で、私はいやらしいことを考えたときに自分の身体が疼いてしまうのを、どうすることもできませんでした。
テレビでベッドシーンやラブシーンが映し出されると、母はすぐにリモコンで他の番組に変えてしまうので、最後まで見ることはできませんでした。
でも私は母に与えられた絵本で、あの後に何が行われているのか、もう知っていたのです。最後まで見られないことで、却って私の妄想はたくましくなってしまいました。そんな場面をほんの少し見た日の夜などはお布団の中で眠れず、いつまでも悶々としていたのです。
そして自分の身体を鎮めるためにお布団の中でパジャマと下着を脱いで、裸になって自分の身体をまさぐったりしました。
(いつか私も愛し合う相手とあんなことをするんだ……)
夜中にドキドキしながら自分の身体を抱きしめていたのです。
そんなことをくり返しているうちに、胸やあそこに触れるのが特に心地よいことを知って、自然とそのあたりをまさぐるようになりました。自慰の快楽を遅ればせながら知ったのです。
中学に入ると、お友達の中には異性との交際をする子も出てきました。でも私は婚前の交際は悪と思い込んでいたので、誰かとつき合ったりはしませんでした。するのはもっぱら、自慰行為だけだったのです。
お布団の中で自分の身体をまさぐるだけでは満足できなくなると、夜中に両親が寝静まったのを確認してから、部屋でひとり裸になり、姿見の前でオナニーをしたりしました。
あれほど嫌だった丸みを帯びていく自分の身体が、なぜか甘美なものに思えてきたのです。中学3年になる頃でした。
※この続きは本誌『マニア倶楽部2018年5月号』リニューアル記念号をご覧ください。