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私はセックスのお人形。汚されても、辱められても、壊れるまでご主人さまのものです。

セックスドールになることを誓った純情マゾヒスト 告白:かなえ(仮名) ※付録DVD収録
編集部のみなさん、MC読者のみなさん、初めまして。かなえといいます。この名前は、ご主人さまがつけてくれたセックス人形としての奴隷名です。

私は、2年前結婚に失敗して、今は実家で暮らしています。ご主人さまと出会ったのは、ちょうど半年前のことです。
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それまでの私は、職場の同僚からも奥手で地味な女だと思われていましたし、別れた夫も私のことを「つまらない女」だと言うような女でした。
でも、私の本性は、淫乱なマゾヒストです。それは、結婚するずっと前、子供のころからでした。私は、自分の淫乱さに気がついていたけれど、夫にもずっとそのことを隠しつづけてきました。
ご主人さまに出会ったとき、私は「この人が必要だ」と一瞬で理解しました。
「私をご主人さまのものにしてください」
という言葉が、私の魂の奥から溢れ出ました。その日から、私はご主人さまが何をしてもいい「お人形」になったのです。
●お人形ごっこ
今はもう都内に引っ越してしまいましたが、子供のころ、私の実家は北陸の田舎町にありました。そのころ私は、幼なじみのY君の家にいつも遊びに行っていました。Y君のお家は大きな農家で、なにか会社もやっていて、お金持ちでした。家もすごく広くて、私の持っていないゲームや食べたことも無いお菓子がたくさんありました。
かなえ03
田舎だから、歩いて行ける範囲にはY君と私しか同年代の子供はいませんでした。Y君は私のことが好きだったのかも知れません。でも、私にはY君よりもずっと好きなお目当ての男性がいました。
その男性というのはY君のおじさんです。私にはすごく大人でおじさんに見えたけれど、たぶんそのころ20代の前半くらいだったと思います。
おじさんは、Y君の家に住んでいて、農業はしていなかったけれど、家のことや事務のようなことをしていたみたいです。Y君のご両親はいつも仕事で家にはいなかったから、一緒にゲームをしたり、おやつを用意してくれたり、おじさんが私たちの面倒をみてくれていました。
すごく優しい人で、私はおじさんのことが大好きでした。でも、優しいおじさんと懐いてる子供という関係は、いつの間にか人には言えないイヤラシイ関係に変化していったのです。
最初は、夏休みにY君の家に遊びに行ったときです。Y君と2人でお昼寝をしていた私は、途中で目を覚まして、なんとなくおじさんの部屋に行きました。おじさんは、部屋でなにかゴソゴソしていましたが、私を見ると微笑んで、
「こっちにおいで」
と言ってくれました。
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そのとき私とおじさんは初めての「お人形ごっこ」をしました。おじさんがお人形のご主人さまで、私がお人形。お人形は、ご主人さまの言うことをなんでも聞かなくてはいけません。自分で動いてもいけません。だから、なにをされても逃げ出すことも拒否をすることもできないのです。
それがお人形ごっこのルールでした。最初、おじさんはお人形の私を抱っこしてくれたり、いいこいいこして頭を撫でてくれました。大人の男の人の大きな手に抱かれて、私はとても幸せな気分でした。それから、おじさんは、私に頬ずりしたり、キスをしました。最初のキスはおでこで、それからほっぺ。手の指、首の後ろ、それから唇……。なんだかむず痒いような不思議な感じでした。だんだん胸が苦しくなって、ソワソワして、逃げ出したいような、もっとして欲しいような、自分でも分からない変な気持ちになりました。
それからおじさんは、私の洋服を脱がせてパンツだけにしました。まだ膨らんでもいなかったのに乳首がカチカチになって、ひりひりしました。パンツの中がぬるぬるになって、それをおじさんに言うと、それは私の身体がうれしがっている証拠なんだと教えてくれました。
(これは、イケナイコトだ……誰にも言っちゃダメなコトだ……)
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子供の私にも、それは分かりました。Y君にも、学校の先生にも、もちろんお母さんにもそのことは黙っていました。
その日から、私はY君の家におじさんに会いに行くようになりました。Y君とはもちろん遊ぶけれど、Y君がゲームに夢中になっている時やお風呂に入っている時、お昼寝の時、私はこっそりおじさんのところへ行って「お人形」になっていたのです。
※この続きは本誌『マニア倶楽部2017年11月号』をご覧ください。