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妄想怪談話【第5話 理科準備室】

 ぼくがこの学校に転校してきたのは5年生の時だった。それまではK県の海沿いの街にいたんだけど、お父さんの仕事の都合で引っ越して来たんだ。

 初めて学校に来た日、ぼくは不安でいっぱいだった。じつを言うと、ぼくは前の学校でひどいいじめを受けていたんだ。学校に行くのがいやでいやでたまらなかった。一度いじめられると臆病になってしまう。今度の学校でも、また同じ目にあってしまうんじゃないかと…。

 先生がぼくをクラスのみんなに紹介している間、クラス委員の郷田くんと言う体の大きな子がぼくを見つめているのに気がついた。ぼくは怖くなって下を向いてしまった。前の学校のいじめっ子を思い出したんだ。

 放課後、帰ろうとしたら校門の所に郷田くんと男女とりまぜ数人の生徒がいるのが見えた。ぼくをいじめようと待ち構えているのではないか。そう思うと足がすくんだ。たしか他にも出口があったはずだ、とぼくはこそこそ校舎の中へ引き返した。

 当てずっぽうに歩いているうち、廊下は行き止まりになってしまった。そこは薄暗くて、なんだか雰囲気が違った。校舎の他の部分より古めかしい感じがするのだ。社会科見学で行った博物館がこんな感じだったっけ。廊下の突き当たりの部屋は理科室、その手前は理科準備室と表札がついていた。引き返そうとしたが、理科準備室の戸が開いているのに気がついた。ぼくはなぜだかそこが気になって、目が離せなくなってしまった。こういうの、「とりつかれる」っていうんだろうか。どうしても中が見たい。そんな気持ちがわき起こって、ぼくはおずおずと入っていった。

 中は薄暗く、薬の臭いが鼻をついた。棚にはガラスの瓶に入ったカエルやら魚やら得体の知れない小動物やらの標本が並んでいた。そのひとつひとつを目で追っていくと、突然人のシルエットが目に飛び込んできた。びっくりしてあっと声をあげた。カーテンごしにさしこんでくる外の光を背景にして、たよりなく立つ裸の女の子の姿。女の子は大きなガラス瓶の中で液体に浸かっていたのだ。普通ならびっくりして逃げ出すところだが、ぼくはそうしなかった。怖いとか不気味だとかは思わなかった。

妖怪10

 女の子がとても寂しそうな顔をしていたからだ。この理解準備室で、彼女はずっとひとりぼっちだったに違いない。そう思うと、なんだかかわいそうになった。ぼくもひとりぼっちだ。彼女の寂しさをわかってあげられるのはぼくだけだ。

「友達になってくれる?」
 ぼくは声に出して言った。女の子はわずかに微笑んだような気がした。
 
 それからというもの、ぼくは放課後になると理科準備室に入り浸った。女の子に本を読んであげたり、今日あったことを話して聞かせたりした。そうして暗くなるまで過ごした。毎日が楽しかった。学校に行くのが苦でなくなった。お父さんとお母さんはぼくに友達が出来たようだと気づいて、あれこれ聞き出そうとした。もちろんぼくははぐらかした。まさか、友達がホルマリン漬けの死体だとは言えない。

 そんな日々がひと月ぐらい続いただろうか。理科準備室はぼくの、この世界で唯一の心安らぐ場所になっていた。

 放課後、いつものように理科準備室へ行こうとしたぼくを、廊下で郷田くんが待ち伏せしていた。生意気なんだよてめえ、そんな怒号が飛んでくるものとぼくは身構えた。だが、違った。

「吉岡君…あのさ」
 郷田くんは優しそうな声で言ったのだ。
「一緒に帰らない?家、同じ方だよね」
 ちょっと間があったかもしれない。
「うん…いいよ」

 ぼくはとんでもない勘違いをしていたようだ。郷田くんはほっとした表情をうかべた。聞けば、転校生のぼくがクラスになじめないのではないか、と気にしていたのだそうだ。転校してきた日、校門にいたのも、ぼくに声をかけようと待っていただけだったのだ。いじめられると思い込んで逃げ回っていた自分が恥ずかしくなった。

「放課後、いつも一人でどこへ行ってたの?」
「と、図書室だよ」
 あの娘の寂しそうな顔が頭をよぎったが、理科準備室のことは隠しておかなければならない、と思った。

 ぼくは郷田くんをはじめクラスのみんなとすぐに仲良くなり、学校生活は本当の意味で楽しいものになった。その日以来、理科準備室へ行くことはなくなった。

 ぼくは確信していたのだ。あの理科準備室へはもう、行きたくても行かれないだろう。そんな部屋は最初からなかったのだ。実際、先生に言われて理科準備室に道具を取りに行った事があるが、あんな古めかしい不気味な部屋ではなかった。もちろんホルマリン漬けの女の子などいなかった。フラスコやビーカーが整然とならんでいるだけ。では、あの理科準備室は何だったんだろう。ぼくの心が作り出したまぼろしか、それとも別の時代へタイムスリップでもしていたのか。

 ぼくはこう思っているんだ。あの日、郷田くんを避けて理科準備室に行っていたら、ぼくは今こうしてここにいないのではないか。ホルマリン漬けのあの娘と理科準備室にずっといるのではないか。

 そして、それはそれで幸せだったのではないか…と。


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