三和倶楽部厳選全国マニアック店

【追悼記事】橘淳一氏を悼む 寄稿/鏡堂みやび 

カテゴリーSM/緊縛 , その他

マニア倶楽部の創刊スタッフであり、34年の雑誌の歴史でほぼ全号に関わっていた橘淳一氏が昨年末ご逝去されました。
生前のご功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

※橘淳一氏のオフィシャルサイトの運営状況について、編集部では把握しておりませんが、問い合わせ等がありましたら、可能な範囲で対応いたします。
マニア倶楽部の編集部か、三和倶楽部まで、ご連絡をお願いいたします。

寄稿/鏡堂みやび

橘淳一さんは私の日本出版社時代の先輩である。
三つ上だからもと三和の松山氏とか有末剛氏なんかと同じか。
SM雑誌はグラビア命、撮影命だという事で、現場のあれやこれやを全部叩き込まれた。
小柄で見かけがちょっとコミカルで親しみやすく、初対面でも相手に警戒心を抱かせない。言葉使いがとても丁寧で、会社ではいたって真面目かつ知性的な印象であったが、現場ではこんなエロ魔神いるのかと思うほどスケベに豹変した。モデルより先にパンツを脱ぐのである。私はSMの撮影現場では編集者は全裸になるものだと真剣に信じたもんだ。

私は一人っ子のボンボン育ちで全然気の利かない人間なので、彼の細かい気の使いよう、とりわけ女性に対して面倒見がよくアフターケア懇切丁寧な対応は大いに勉強させていただいた。そういやご実家は岡山の旅館だったな。

そんな橘さん、実は『SMクラブ』誌の編集に携わるまではSMには無関心どころか女性経験もない漫画オタクの童貞だったと言う事だ。
自らを歩く電動ヴァイブと称してはばからなかった彼だが日本出版社に来る前は、みのり書房で今や漫画マニアの間でも伝説となっている『コミック・アゲイン』の編集長で、日本出版社に入ったのも『コミック・アゲイン』を復刊させるためだったと言う。
しかしたまたま新しく創刊するSM誌の方が人手不足で、ここはひとつ何年かSM誌やってもらってそいつが軌道に乗ったあたりで漫画雑誌やらしてあげる、みたいな話だったらしい。
エロとはほとんど無縁のニューウェーブ系マンガ誌から、その極北ともいうべきの小説主体ハードコアSM雑誌である。気乗りはしなかったものの、そこは元々が天才的な編集感覚の持ち主の上に、ひょっとしてこの人高機能自閉症かといってもいいほどの桁外れの記憶力を持っていた。
例えばモデルの名前と電話番号と生年月日は必ず記憶することができた。生年月日にはとりわけこだわりが強く、いろいろな人の生年月日を記憶していた。加えてものすごい読書家で人並みはずれた勉強家である。

彼は、まずマニアの人の話を聞こうと考える。知らない世界のことはその世界のマニアに教えてもらう。そこがすごいな。そして電話相談室なるものを始める。相談に乗りつつマニアのなんたるかを学ぶのだ。そしてたまたま編集部に電話してきたマニアのM女性を自ら体験取材することになり、その強烈な初体験によって彼に内在したエロ怪物が一気に覚醒。彼はこの体験を『スキャンダル・ショット』なる単行本として自らの出版社から出版し、同時に『SMクラブ』本誌内にも自らの連載ページを作る。

私が編集部に入って引き継ぎ期間3ヶ月で後はよろしく! ってな感じで退社して、以後フリーランス編集者としてのSMハント系の記事を書きながら、三和出版では『マニア倶楽部』や『アップル通信』で文字どおり精力的に活躍。また同時に日本出版社の外注で念願の『季刊コミック・アゲイン』を復刊させるのである。そういえばこの漫画誌の編集にはつい先日亡くなった月蝕歌劇団主宰の高取英氏も参加していて、以来私は氏とも交誼を賜った。

その他の彼の業績は、おそらくご本人が投稿編集したと思われるウィキペディアを参照していただくとよくわかる。ちなみに漫画好きなら、その『季刊コミック・アゲイン』のWikiを見るとそのすごい書き手のラインナップに圧倒される事間違いなし。

しかし『季刊コミック・アゲイン』は4号をもって休刊し、以後彼は、鬼のような使命感を持ってひたすら“M(の感受性を秘めた)女性”を癒し救うためにその人生を捧げていくのである。ちなみに彼がオフィシャルサイトを立ち上げた時、私は会員番号のNo・3をもらった。

彼の偉業をあとひとつ。たまたま読んだのだが90年代の中頃の朝日新聞の夕刊で矢作俊彦氏が大友克洋氏との共著『気分はもう戦争』制作秘話っぽいエッセイを描いていおり、あの名作をプロデュースした幻の人物「金太」とは一体何者だったのか? と不思議がっているのだが、その金太こと「大山金太」こそ橘淳一その人である。

カテゴリSM/緊縛 , その他
タグ

コメントする

関連記事

三和出版新刊情報