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『怪人黒猫男爵』 (左母次郎) 【第5話】

●第5話

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森脇探偵はチカ子さんの足首から伸びているロープをよじ登り、飛行船のゴンドラのドアにたどり着きました。ドアは案外すんなり開いて、探偵は金属製の床に倒れ込み、つかの間、呼吸を整えることができました。探偵はすぐさまロープを引っ張り始めます。チカ子さんをいつまでも逆さ吊りにしておくことは出来ません。

「……」

何か聞こえたような気がしました。耳を済ますと、チカ子さんの声です。いつの間にか猿ぐつわが外れ、何か叫んでいるのです。探偵はロープをたぐるピッチを早めました。

「先生、ロープを切って。私の体に爆弾が…」

チカ子さんはそう叫んでいました。しかし探偵は構わずロープをたぐり続けました。ほどなくチカ子さんはゴンドラの中へ引っ張り上げられました。探偵はチカ子さんのお尻を調べました。電波発信器がお尻の穴から半分ほどはみ出しています。引き抜こうとすると、本来10センチほどの長さしかないのに、ウィンナーソーセージのように続きがあるようです。黒猫が手を加えたのでしょう。しかも、それは急に太くなっていて簡単に抜けません。探偵はそれを仔細に検分して、チカ子さんが言うように爆弾だと判断しました。

「チカ子君、安心しなさい、いま爆発しないようにする」

探偵はチカ子さんのお尻の穴に指を突っ込んで広げ、器用に爆弾の時限装置を操作しました。

「これでよし。時限装置を止めたから、もう大丈夫。あと10秒ほどで爆発するところだったよ」

そして、チカ子さんの体や足首のロープをほどきながら言いました。

「まさか黒猫も僕たちがここまで乗り込んで来るとは思わなかったんだろうね」

「はい」

チカ子さんの顔にほんのり赤みがもどってきました。

「さて、麗子さんと沖田君を捜さなければ。無事だといいが……」

二人は通路を用心深く進みます。途中のドアを開けて入ってみると、まるで博物館のように軍艦や戦車の模型、宝石類が展示されていました。そう、チカ子さんが拷問され、麗子さんと沖田君が黒猫男爵の前で痴態を演じたコレクションルームだったのです。探偵は部屋の奥に並んでいるものを見てはっとしました。ホルマリン漬けにされた美少女達……探偵は怒りに震えていました。

黒猫男爵は操舵室にいました。全裸で縛られたままの麗子さんと沖田君も一緒です。

「さあ、これで日本ともおさらばだ。君たちもお別れを言うといい」

勝ち誇った様子の黒猫に対し、沖田君は毅然と言い返しました。

「まだ勝負はついていないぞ。森脇先生がきっとお前を倒す」

「彼は死んだよ。あの爆発を無事に逃げられたはずはない」

「先生が死ぬもんか」

その時、操舵士が叫びました。

「男爵、故障です!舵が効きません!」

「なんだと」

黒猫は船内を監視するテレビカメラのスイッチを次々に入れました。ブラウン管の一つに映し出されたのは……

「森脇!」

探偵は気嚢の中心部の通路にいて、整備用の工具で方向舵を動かす機械を壊しているのです。そして、その片方の手に握られているのは、あのやせっぽちの少女のお尻に突っ込んだ爆弾ではありませんか。

「先生!」

沖田君の顔がぱっと明るくなりました。

「くそう、しつこい奴め。おい、この二人を見張っていろ」

黒猫は部下に命じ、駆け出しました。

森脇探偵とチカ子さんはゴンドラから梯子を上って気嚢内の点検用の通路にいました。頭上には巨大なガス風船がずらりと並び、そこにいると小人になったような気分になりました。そこで工具箱を見つけた探偵は、中から液体の入ったガラス製の瓶を取り出し、チカ子さんに手渡しました。

「機械油だよ。ひまし油と言った方がわかるかな。これを飲めば爆弾を取り出せる」

「飲むんですか?」

「ああ、それは下剤だから飲めば出て来るだろう。僕はここで妨害工作をするから、その陰で出してしまいたまえ」

躊躇している時間はありません。チカ子さんはひまし油をゴクリと飲み干しました。すぐに強烈な腹痛を覚え、物陰にしゃがみこみました。探偵は工具箱の工具で辺りの機械を壊し始めます。やがて梯子を登って来る足音がして、姿を現したのは黒猫男爵でした。

「森脇君じゃないか。生きていたとはね」

「必ず捕まえると言ったはずだ。観念したまえ、黒猫男爵」

探偵は手に卵のような形をした金属製の物体を握っていました。爆弾です。

「君のプレゼントをお返ししよう。ここで爆発させればどうなるか、わかっているだろう?諦めて引き返すんだ」

一瞬怯んだ黒猫男爵ですが、すぐに笑い出しました。

「それはコレクションルームにあったレプリカだろう。火薬は入っていない。観念するのは君の方だね」

背後から何人もの足音が迫って来ました。黒猫の屈強な手下がじりじりと距離を詰めてきます。そのうちの一人が物陰に身を潜めているチカ子さんに気づきました。

「先生!」

チカ子さんは背後から腕を捻り上げられ、引きずり出されました。こうなっては探偵も動くことができません。見ると、チカ子さんのお尻の谷間からは電波発信器の頭が覗いています。爆弾はまだ体の中にあるということです。

「二人とも監禁室へ放り込んでおけ。処分はあとで考える」

手下に取り囲まれ、通路を引っ立てられて歩きます。しかし間もなくチカ子さんがうっと呻いて踞りました。チカ子さんのお腹がぐるぐると激しい音を立てていました。強烈な下痢が彼女を苛んでいるのです。

「さあ行け」

手下が無理矢理立ち上がらせますが、もはや歩くことは出来ませんでした。チカ子さんのお尻の穴は大きくせり出し、爆弾本体が顔を覗かせていました。よく振ったシャンペンのように、今にも吹き出しそうになっていたのです。

「大丈夫か、チカ子君」

探偵が近寄って来て体をささえました。しかしそれは見せかけで、耳元でそっと囁いたのです。

「いいか、ぼくが合図したら思い切り力むんだ」

「はい」

一方操舵室では……

沖田君は必死に考えを巡らせていました。船内監視テレビの映像がついたままになっていたので、沖田君は森脇探偵のピンチに気づいていたのです。何か先生の手助けが出来ないか……。

突然、彼は大声で叫びました。

「何をする! やめろ卑怯者!」

欠伸をかみ殺していた見張りの手下はきょとん。操舵士は何事かと振り返ります。沖田君はここぞと見張りに噛み付きました。

「今度やったらお前の***を噛み切ってやる!」

「な、なに言ってるんだ、俺はなにも」

操舵士がつかつかと歩いてきて、見張りと言い合いになりました。これこそ沖田君の狙いだったのです。

「捕虜には手を出すなって言っただろう!傷でもつけたら俺たち全員の責任になるんだぞ」

「俺は何もしてねえよ。こいつが勝手に……」

次の瞬間、二人は顔面を向かい合わせにぶつけ合って昏倒しました、沖田君が涼しい顔でぱんぱんと手を打ち払っています。実は黒猫が出て行った後、見張りの隙を見て縄脱けをして、縛られているふりをしていたのでした。

「すごいわ、そんなことが出来るなんて」

「このくらいは朝飯前ですよ」

沖田君は麗子さんの縄をほどき、倒れている手下を縛り上げました。テレビ画面を見ると、森脇探偵とチカ子さんが手下どもに連行されて行く所でした。沖田君は操舵席に飛びつき、高度を調整するレバーを見つけて力いっぱい押し下げました。飛行船はジェットコースターのように急降下し始めました。

「何事だ!?」

突然、飛行船が急降下し始めたので、黒猫も手下も慌てて手すりにしがみ付きます。それは数秒のことで、すぐに水平飛行に戻りましたが、探偵はこの機を逃しませんでした。

「今だ!」

チカ子さんは顔を真っ赤にして、うんっ!と下腹に力を入れました。

ブパッ! ブリブリブリ……

お腹に溜まっていたものが一気に放出されました。爆弾は点検用通路の床に落ちて、ごろごろ転がって行きます。衝撃で時限装置が作動し、かちかちと音を立て始めました。黒猫がそれに気づいて捕まえようとしますがあと少しのところで間に合わず……爆弾は通路から落ちて行きました。すぐにどかん、と爆発音が響き、飛行船は大きく揺れました。通路から見下ろすとゴンドラの天井から煙が出ています。火災が発生したのです。

「だ、男爵!どうしましょう、ヤバいですよ」

手下はパニック状態です。水素ガスの詰まった飛行船の中での火災どんなに恐ろしいかよくわかっているのでしょう。火は見る間に燃え広がっていきます。

「やむを得ん、全員脱出しろ!」

手下は一目散に逃げ出しました。混乱に乗じて探偵とチカ子さんも駆け出します。

「どこへ行くんですか、先生!」

「操舵室だ。さっきの急降下、あれは沖田君がやったに違いない!」

煙の漂い始めた船内を駆け抜けます。やっと操舵室のドアが見えて来ました。

「先生!チカ子さん!無事でしたか!」

麗子さんと沖田君が安堵の顔で迎えます。しかし探偵はきびしい表情で言いました。

「現在位置はわかるか」

「たぶん東京上空なんですが、それ以上のことは……」

「この飛行船が街の上に墜落すると大惨事になる。海の方へ飛ばそう」

沖田君はきっぱりと答えます。

「僕にお任せください」

「いや、君たちは麗子さんを無事に脱出させるんだ。この船は僕が操る」

それは命がけの仕事でしたが、探偵の口調には有無を言わせぬものがありました。

「わかりました」

沖田君はこみ上げる感情を押し殺して言いました。そして、さっき縛り上げた手下の胸ぐらを掴み、詰問しました。

「脱出用の落下傘があるだろう。どこだ」

手下は操舵室の片隅を目で示しました。しかしそこにあったのは落下傘が二つだけでした。

「この二人を逃がしてあげましょう」

そう言ったのは麗子さんでした。沖田君もチカ子さんも驚いて顔を見合わせました。

「そのかわり、無事に脱出したら警察に行って罪の告白をするのですよ」

そう言ってロープを解いてやりました。手下は落下傘を引っ掴み、脱兎のごとく飛び出して行きました。

「凄い度胸ですね」

沖田君が言うと、麗子さんはにっこり笑って答えました。

「言ったでしょ? 私、こう見えても探偵ごっこが大好きだったのよ。それに、スカイダイビングは苦手なの」

真っ暗な東京の上空を、飛行船は燃えながら高度を下げて行きます。ゴンドラからは黒猫の手下が次々に脱出し、落下傘が列になって開いていきました。操舵室では森脇探偵が必死の操船を試みています。さっき操舵装置を壊したので、飛行船の向きを変えるのは至難の業でした。火は後部から迫りつつあり、もし水素ガスに引火したら大爆発を起こして一巻の終わりなのです。

麗子さんと沖田君、チカ子さんは脱出する方法がないか、手分けして船内を調べましたが、落下傘はもう一つもなく、救命胴衣もありません。沖田君は焦りを感じながらコレクションルームに飛び込みました。ここにももう火の手が回り始めています。彼は漂う煙の向こうに別の人影があるのに気づきました。

「黒猫男爵!」

黒猫は宝石の並んでいる方へ歩いて行きます。少しでもお宝を持って逃げようというのでしょうか。しかし、黒猫が手に取ったのは額に入った一枚の古い写真でした。優しそうな顔の紳士と、その膝に乗る天使のように可愛らしい少女の写真……。黒猫はそれをいとおしそうに見つめるのでした。

そしてゆっくりと、仮面をはずしました。そこにあったのは悲しげな女の顔……どこか、写真の少女と面影が似ているのでした。黒猫男爵の意外な素顔に沖田君は思わず息を呑みました。

「君か」

黒猫は沖田君に気づきました。

「君を見くびっていたようだね。さすがは森脇君の弟子だ」

「降参しろ、この船はもうおしまいだ。僕らと一緒なら脱出できる」

黒猫は声をあげて笑いました。

「情けをかけているつもりかね?全てを失った私が哀れだとでも思ったかね?」

ひとしきり笑うと真顔に戻り、

「森脇君に伝えてくれたまえ。楽しかったよ、また会おう、とね」

そしてマントを翻してもうもうたる煙の奥に歩いて行きました。

「待て、黒猫!」

沖田君は追おうとしましたが、天井の構造材が崩れて来てそれを阻みました。燃え盛る炎の奥に、黒猫男爵のシルエットが消えて行くのが見えました。

飛行船は半分炎に包まれながらも、なんとか海上へ出ることが出来ました。これで東京の街が大惨事に見舞われる心配はありません。探偵は額の汗を拭い、ほっと息を吐きました。しかしまだ安心はできません。麗子さん達を無事に脱出させなければならないのです。

「先生!」

沖田君の声がしました。振り向くと、3人がホルマリン漬け用の瓶を転がして来るところでした。まだ使っていないものを見つけ、ぴったり蓋をして来たようです。

「この船をできるだけそっと着水させてください。これを救命ボート代わりにしましょう」

「簡単に言ってくれるな。だが、それしかなさそうだ。みんなしっかりつかまっていろよ」

探偵がレバーやバルブを操作すると、飛行船は速度を落とし、高度を下げて行きます。みるみる海面がせまってきました。あと20メートル、10メートル……

そこで大爆発が起こりました。飛行船はずたずたになって海面に落下します。無数の破片が暗い海の底へ沈んでいきました。

沖田君は操舵室から放り出され、海中を漂っていましたが、強い使命感でハッと意識を取り戻しました。麗子さんを助けなければ。麗子さんはどこに……!?

海面でまだ燃えている部分があるのでしょう、辺りは思いのほか明るく照らされていて、麗子さんのからだはすぐに見つけることが出来ました。全速力で泳いでいって抱きとめます。意識は失っていますが急げば大丈夫。必死で上へ向かって水を掻きました。

ふと見ると飛行船の巨大な残骸が沈んで行くのが見えました。その傍らを、ホルマリン漬けになった美少女達を入れた瓶が次々に沈んで行きます。沖田君は瞑目して祈りました。彼女達はこのまま、永遠に光の届かない海底でガラスの墓標となるのです。

怪人黒猫男爵5

海面に顔を出すと、すぐに手が差し出され、海面に浮いているガラス瓶につかまらせてくれました。森脇探偵とチカ子さんです。麗子さんもすぐに息を吹き返しました。波の向こうでは、飛行船の最後の残骸がまだ燃えていました。

こうして事件は解決しました。黒猫の手下は、アジトに残っていた者も落下傘で降下した者も全員投降し、逮捕されました。黒猫男爵は死亡として処理され、誰もが誘拐の心配をせずに暮らせる日々が戻って来ました。新聞は森脇探偵の活躍を大々的に書き立てましたが、当の探偵はあまり多くを語りませんでした。

「いやあ大冒険だったな」

土井留警部は森脇探偵事務所に入って来るなり大声で言いました。

「沖田君も大活躍だったんだって? チカ子ちゃんも。新聞で読んだよ。いやあその現場に居たかったな」

なぜか沖田君もチカ子さんも顔を赤らめてもごもごとしか喋りません。そこへ、セーラー服姿の美少女がコーヒーを持って来ました。

「どうぞ、警部」

「おや、新人かい? 可愛いねえ」

「どうしてもここで働きたいって押し掛けて来ちゃいましてね」

森脇探偵は頭を掻きながら言いました。

少女はお盆を胸にぴょこんとお辞儀をしました。

「福河原麗子と言います。よろしくお願いします!」

(終わり)


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